看護師ママの副業で自宅でのんびり働く
40代からの身体もお金も時間も自由で、笑顔をもたらす働き方を教えています
ビジネス

私の自己紹介と伝えたい事

こんにちは!りんりんです。

この度は、ブログに訪問していただきありがとうございます!

私は現在40代、小学生の娘がいる母で、フルタイムで看護師という夜勤のある生活をしながら、インターネットを使って、もうひとつの収入源を作っています。

ブログや、メルマガ、YouTubeで自分の学んだ事を発信したり、サービスやスキルを売る事で収入を得る方法です。

 

私がなぜ看護師という仕事をしながら、インターネットを使ってもうひとつの収入源を作っているかというと、ワーキングマザーでも個人で稼ぐ力をつければ、人生の選択肢を増やす事ができる。

個人で稼ぐ力があれば、家庭や自分を犠牲にして我慢して働く必要がなくなる。

そして、ワーキングマザーの心を元気にして、笑顔溢れる母親を増やしたい。

母の笑顔が明るい家庭を作る。という理念のもと情報発信をしています。

 

私は、ワーキングマザーとして10年近く働いていました。

インターネットを使ったもうひとつの収入源を作ってから、私の日常は大きく変わりました。

●隙間時間を使って、初月で2万円の副収入を得て、家族で美味しい物を食べに行った。

●会社員以外の働き方がある事を知るだけで、精神的安定につながり笑顔で過ごせる事が多くなった。

●色んな職種や年代の方との交流が楽しく、毎日に刺激がある。

●看護師や会社員以外で働くという選択肢がある事で、職場でも自分の意見がはっきり言えるようになった。

●時間を短縮する物や、知識のためには躊躇する事なく投資できるようになった。

●母親が勉強する姿を見せる事で、子供も自主的に勉強するようになった。

●子供の将来のためには、惜しみなく習い事に対して投資できるようになった。

 

けど、今まではインターネットを使った副収入を得る方法を知るまでは、毎日、毎日、精神的にも、肉体的にも辛く、自宅と職場の往復だけ、休日は家事に追われる毎日。

ここ最近はお金のためだけに働くしかないと思い、毎日笑顔もない日々が過ぎて行くだけでした。

 

けど、個人で稼ぐという選択肢を知るだけで、大袈裟だけど生きて行くのが本当に楽になりました。

だから、同じように仕事と家庭の両立悩んでいるワーキングマザーの方に、この働き方を知ってほしいと思い、発信を始めました。

 

なぜなら私は、もともと母の笑顔の少ない子供時代を過ごしてきて、その事でとても辛い思いをしてきました。だから母の笑顔の大切さに気付きました。

 

もし、これを読んで下さっている方が、仕事と家庭の両立で悩んでいるお母さんで、子供にイライラして当たってしまったり、自分を犠牲にして働いていたら、今の働き方から抜け出すきっかけにきっとなると思うので、ぜひ続きを読んでみて下さいね。

 

母が明るかった幼少期

家族は、両親、6歳年の離れた姉のいる4人家族で育ち、父は普通のサラリーマン、母も会社員の共働きの家庭で、私の面倒は年の離れた姉がよく見てくれていた。

小学校低学年の頃の記憶では、母は働く事が好きで、いつも綺麗にお化粧をして、楽しそうに仕事に行く事が好きだった。

働いている母がキラキラしていて、私が子供の頃は専業主婦の家庭が多かったから、友人に「お母さん働いるんだ!すごいね!」って言われる事があって、働きに出る母が自慢だった。

母は、料理や裁縫が得意で、働いていたけど私の好きな料理を作ってくれたり、小学校に入る時の、カバンや上履き入れは全て手作りだった。

休日には一緒にお菓子を作ってくれたり、よく買い物に行ったりしていて、母といられるのが楽しくて、楽しくてたまらなかった。

花が好きだった母は、庭に好きな花をよく植えてそれをリビングに飾っていた、いつもリビングの中がいつもキラキラと輝いていた。

仕事をしていても、家の事も、子育ての事も、私が不自由なく育つように完璧にやっていた。

私もそんな料理が得意母、裁縫が得意は母、花が好きな母、仕事が好きな母が大好きで、母のようになりたいと憧れていた。

毎日が穏やかで、何も悩みのない幸せな家庭だった。

 

母の変化

小学校高学年の頃に母は転職をした。

高校を卒業し大学に行った姉にお金がかかり、さらに住宅ローンの返済や、私のこれからの学費がかかるために、もっとお給料のいい仕事をするために転職したんだと思う。

それから、母の帰りも少しずつ遅くなってきた。

その頃から母の美味しい手料理が、お惣菜が多くなったり、土日祝日も仕事に行くようになっていった。

母のいない休日は、無口だった父と、しーんと静まりかえった家の中。

お昼は麺をゆでるだけとか、お弁当を買ってきたり、美味しいとか、まずいとか感じる事もなくなり、母の手料理が懐かしかった。

姉も年が離れていたため、その頃には一緒に遊ぶ事もなくなり、一人部屋にこもる事が多くなった。

母が帰って来ると嬉しかったが、夕食を食べ終わるとすぐにリビングで寝る事が多く、台所も洗ってない食器が散乱するようになり、台所もリビングも散らかるようになってきた。

その頃から何となく家の雰囲気が変わってくるように感じた。

とにかく母は、

お母さん疲れているから」

「先に寝るからね」と、言う言葉が増えていった。

 

本当は学校であった話とかを聞いてもらいたかったが、

「お母さんも大変そうだから辞めておこう・・」

「嫌な事もあったけど、我慢すればいいや、お母さん疲れていし・・」

と思うようになった。

そして、少しずつ両親の喧嘩が増えるようになってきた。

 

「私だって家計を支えるために働いているのよ!」

「私だって疲れて帰ってきて家事をやっているのに、何で何もしてくれないのよ」

と、父によく言っていた。

そんな喧嘩を聞きたくなくて、自分の部屋に逃げるようにこもり、イヤホンで音楽を聴きながら、喧嘩の声を聞かないようにしていた。

友人の家に遊びに行くと、友人は母親と仲良しで、学校であった事や、好きな男の子の話しなどをしていて、とても羨ましかった。

けど、自分は家に帰ると両親がまた喧嘩をして、母がイライラしていた。

「何で自分の家族はこうなんだろう‥」

「何でいつも両親は喧嘩ばかりするんだろう…」

そう思って、本当に悲しくなった。

 

そして忘れもしない、小学校高学年の頃。

家族4人で隣県の温泉施設に旅行に行った日、久しぶりに母と出かけられる事が本当に嬉しかった。家族で美味しいものを食べ、温泉にゆっくりつかり、フルーツ狩りに行き、楽しい思い出の家族旅行。

今まで両親の喧嘩の多かった時間が嘘のようだった。

しかし、家に帰って来たときに両親がまた些細な事で、大喧嘩を始めた。そのすさまじい言い合いに、怖く手が震えた。

 

自分の部屋に逃げ込み、布団をかぶり、せっかく楽しかった家族旅行。。

「なのに、何で?何で?」

両耳に手を当て、喧嘩の音が聞こえないようにしながら大泣きした。

 

そして、その日母は家を出て行った。

 

母のいない家は、明かりをつけているのに、あまりにも雰囲気が暗く、暗闇の中で生活しているようだった。

楽しかったはずの家族旅行は、思い出したくない出来事となり、結局その後、母は戻ってきたけど、ギスギスした家の雰囲気はあまり変わらく、年の離れた姉はだんだん家に寄り付かなくなっていった。

母がいないと家の中は、本当に暗かった。

母の存在が家庭の中でどれほど大きかったのか、母が笑ってくれていたらどれだけ家庭が明るかったのか、母は本当に太陽のように輝く存在だった。

つまらなかった高校時代

勉強が嫌いだった私は、受験の時にあまり勉強せず私立高校に何とか合格した。そこはお金持ちの家庭の子が多い高校だった。

小、中学校と友人関係は、幼なじみが多くのんびりと公園や友人の家で遊ぶぐらいだった。

しかし、高校に入った途端にほとんどの子がお化粧をして、ブランドのカバンや財布を持っていて衝撃を受けた。

最初はブランド品やメイクに興味がない友人たちも、メイクやブランド品が欲しくてバイトを始め、そのお金で好きな物を買い、休み時間はその話題で持ち切りだった。

「私も化粧品や、洋服が欲しいな‥」

「友達の話しについて行きたいな‥」

内心は憧れていたけど、お小遣いが少なくて買えなかった。

 

その頃はバブル崩壊期。サラリーマンの父の給料は厳しく、ただでさえ授業料の高い私立に通い、さらに母が「疲れている」と言って両親が喧嘩を始める事もあったので、お小遣いが欲しいとは言えなかった。

さらに親は勉強に支障がでるからと、バイトを禁止していたため、欲しいと思う物も買えず、友人と段々と話しが合わなくなって行き、親しいと言える友人はほとんど出来なかった。

そのうち休み時間は一人でいる事や、寝ているふりをしている事が多く、休み時間がこんなにも長いと思わなかった。本当はキラキラし始める女子高時代は、本当につまらない毎日だった。

さらに家に帰れば、両親が時々喧嘩を始める。その頃に、年の離れていた姉はすでに家を出てた。

だから、家でいつも自分の部屋に引きこもり一人でいる事が多かった。家にいても、学校にいても、本当につまらない毎日だった。

そんな時、お金があれば友人の仲間に入れる、お金があれば好きな物を買える、お金があれば、母も疲れる仕事をしなくてすむ。

母も家で昔みたく美味しい料理を作ってくれたり、自分に余裕ができて、一緒に出掛けたり楽しい日々を過ごす事ができる。

 

お金があれば、母も笑顔になると思うようになった。

高校生で運命的な出会い

そんなつまらない高校生活2年生の時に、突然病気で3か月入院する事にり、本当に本当にショックだった。

学校もつまらない、家もつまらない、そして病気になる。

自分の人生なんだろう、17歳にして思うようになった。一番キラキラしているはずの年齢なのに、地獄に落とされたような気持になった。

けど、学校も家もつまらなかったのに、入院生活で同じ年の同じ病気に子に出会い、その子と気が合い、入院生活の方が何だか楽しくなってきた。

変な話で病院が自分の居場所なんじゃないかと思うようになった。

そして、そこで運命的な出会いがあった。それは入院中に出会った、元気で明るい看護師さんだった。

自分が病気になって辛かったけど、両親にも友人にも言えない悩みは看護師さんが笑顔で聞いてくれた。

かつて母が笑顔で楽しそうに、仕事に行く姿と重なった。

いつも

「あの看護師さんが担当だ!」

「早く勤務で出てこないな」って思うようになった。

その看護師さんのおかげで手術する事が怖くなくなった。

入院中にすごく元気をもらい救われた私は、自分も人の心が支えられるような看護師になりたい、と思い高校卒業後に看護師の道を進むために進学する事に決めた。

 

看護師という激務の始まり

念願の看護師として働き始めたが、本当にハードだった。

8時30分~20時近くまで働いて一回家に帰り、2時間ぐらい仮眠を取って、その夜中の24時近くから出勤した。

その24時~10時くらいまで、休憩なく朝まで走り回る事がほとんどだった。

 

働き始めたてから1年ほど経過する頃、どんどん仕事も覚え、ハードな仕事の中でも楽しくなって行った。看護師という仕事は感謝される事も多く、元気になって行く患者さんを見るのも楽しかった。

勉強が嫌いだったのに、就職してからの方が勉強するようになり、学んだ事がそのまま実践に活かせる事が楽しかった。

引っ込み事案だった私は、仕事を通じて少しずつ自信が付き、人見知りだったけど、学生に頃に比べたらだいぶ良くなった。

そして同期の中でも早くからチームリーダーを任せられるようになり、仕事って人を成長させるんだ!って思うようになった。

 

かつて仕事に楽しそうに行く母も、仕事にやりがいを感じ活き活きと働いていたんだなって思い、自分が仕事をするようになって始めて感じた。

しかし、そんなハードな勤務が続く中で同期が一人、また一人と辞めて行き、自分も転職を考えるようになって行った。

ある程度経験を積んで自信がついたのと、その頃夫と出会い、結婚の話も出たため、結婚しても、子供を産んでも、働ける職場はないかと考え、今の職場に転職する事にした。

ワーキングマザーの始まり

転職したての頃は残業もほとんどなく、転職し間もなく結婚し、妊娠、出産をした。

そして、子供が1歳半で夜勤のある生活に復帰した。出産前は、ワーキングマザーなんて自分にできるのかなーと思っていたが、育休復帰後は、そんな事を考える暇がないぐらい怒涛の毎日だった。

夜勤の時は17時に仕事が終わった後に、保育園に急いで迎えに行く、夕食、お風呂、寝かしつけまで全力でやった後、30分ほど子供と添い寝し、うとうとしながら22時からまた仕事に出勤するという生活を送った。

子供が熱を出そうが、夫に託し夜中に出勤し、夫から

「熱が出て辛そうだよ、泣き止まないんだけど‥」

ってメールが来ても、どうしようなく

「頑張って!!朝、病院に連れて行くから」としか言いようがなかった。

自分の子供もまともに看病できないのに、他人を看病している自分・・

「自分がなんのために働いているんだろう」と思う事も多々あった。

 

さらに、一歳児を抱えようが、独身だろうが仕事の内容には変わりはなかった。育休明けにも関わらず、新人教育係や、看護研究メンバーをやらされ嫌とも言えず、仕方なくやるしかなかった。

かつて疲れた顔で帰ってきた母の顔を思い出し、母の大変さが分かった。

幸いだったのは、私は職場の人間関係にとても恵まれた事、周りの支えがあって何とかやってこれた。

通常の業務が終わった後も残業で残る事もあり、保育園は利用時間までいっぱい使い、朝の7時から夜の20時まで預けている事が多く

夜勤や残業の時は、いつもお迎えが最後で、娘が一人寂しく保育園に残されている姿が今でも目に焼き付き、思い出しただけで胸が張り裂けそうになる。

夜勤や残業があったため幼少期に娘と過ごせる時間なんて本当にわずかだった。そのため娘は幼少期に人見知りも激しく、情緒不安定な事も多かった。

自分自身も仕事でいっぱい、いっぱいになる事も多く、保育園の帰り道、自転車の後ろに乗せて泣きながら帰る事も多く、さらに家に帰って、娘と一緒に声を出して泣いた。

 

心身共に限界の時があって

「もう辞めちゃおうかなー」ってふと思う事が何回もあった。

 

けど、辞めても楽になるのは一瞬、夫の給料だけでは生活はギリギリの状態になる。それに子供の教育費はどんどんかかって行く、子供を抱えての転職、時短の希望、それだけでマイナス要素になる。

けど、仕事をやればやるほど子供に辛い思いをさせてしまう・・・

そんな葛藤の中働き続け、あっという間に子供も大きくなり、自分の30代もあっという間に過ぎて行った。

昔の母を思い出した

子供が小学校にあがる頃、私は病気の父が心配で両親と一緒に住み始め、両親の協力をもらいながら、ワーキングマザーの生活を始めた。

祖父母と同居する事で、娘の心も徐々に安定して行った。そしてその頃には子供も大きくなってきて、手がかからなく行った。

けど、だいぶ子育てが楽になってきた頃、自分は40近くにになっていて、仕事の疲れがとれなくなってきた。さらに体だけでなく、仕事へのヤル気が人生最大に落ち始めてきた。

「あー、後定年まで何年あるんだろう。」

「このまま20代、30代と同じペースでは働けない」

「なか、なか気持ちが立て直せない」

そう思う事もあり、休みの日にゴロゴロしている日が続いた。

 

そして段々、仕事が生活のためだけに続けている気がして、苦しくなる日が増えて行った。

 

その時にふと思い出したのが、子供の頃に疲れていた母の姿であった。

 

仕事が好きだった母は、若い時は活き活き働いていたけれど、年を重ねるにつれてすごく疲れていて、とてもイライラして笑顔が少なくなって行った。

きっと母も若い時は、仕事が楽しく元気に働けていたが、生活のために働く事に辛くなっていったんだろうと思った。

そして休日も寝ている事が多くて、ゴロゴロしたり、イライラしたり、あーーーー自分も同じ状況だと思った。

このままの働き方を見直さなければ、自分が子供の時に傷つけたように、自分の子供を傷つけてしまう・・・そう思った。

インターネットを使った働き方の出会い

このままの働き方でいいのか・・・

このまま子供に寂しい思いをさせたままでいいのか・・

そう思って、働き方を模索している時にたまたまネットで起業している女性を知る事になった。

そこには、

・PC1台で自宅で働ける

・子供の成長を見届けながら仕事ができる

・インターネット上に資産を作れば、自動で収入が入る

・お金も時間も自由になれる

そう書いてあった。

最初は、自動でお金が入るわけがない、そんなに簡単にお金が稼げるわけがない、そもそもネットで起業という言葉自体が怪しい・・・

そう思って、なかなか一歩を踏み出す事ができなかった。

 

けど、もし本当に自宅にいて仕事ができるなら、もう子供に辛い思いをさせなくていいんだ。夜中に熱を出しても子供の傍にいてあげれる事ができるんだ。

自分の身体も楽になるし、心に余裕のある生活だってできる。夜勤あけのつらい体を引きづる必要もなくなるんだ。

そう思ったら、もうこれはやるしかない、このハードな仕事と子育ての両立の日々から抜け出すにはこれしかないんだ、この方法しかないんだ。

会社員以外の働き方があるという事を知るだけでも、精神的な辛さが、だいぶ軽くなった。

そして、インターネットを使ってもうひとつの収入減を得る方法を始める事にした。

私が伝えたい事(理念)

長い、長い私の話を読んでいただきありがとうございました。仕事や育児に追われながらも約20年間必死に働いてきました。

やりたい仕事に就けて、それは本当に幸せな事だと思います。

看護師という仕事は、夜勤もきついし、辛い事もあったけど、病気に人の心に支えになりたい、心を元気になってもらいたいという理念があったからやってこれました。

けど、体力、気力と共に徐々に落ち始め、心に余裕がなくなってきたんです。

けど、これから子供教育費、老後に資金、住宅ローンの返済のために嫌々でも仕事を続けなければならない。だからここ最近は笑顔もなく、楽しみのない日々でした。

 

自分が子供の時に母が明るかった時は、本当に家庭も明るく楽しかった。けど、母は仕事が辛くても、疲れていても我慢して働くしかなくて、その事で家庭がどんどん荒れてきて暗くなってしまった。

そして、自分もその時の母と同じ状況になってきて、自分の子供にイライラして当たってしまたり、もっと辛い思いをさせようとしてしまいました。

だからお金があれば、母は我慢して働く必要がなくなり、母の笑顔は作れると思っていました。

自分もワーキングマザーとして働く事で、精神的にギリギリの状態で働く事が多かった。

私の周りでもワーキングマザーは精神的にギリギリの状態で仕事をしている人がほとんどだった。

 

けど、個人で稼ぐ力があれば、自分や家族を犠牲にして働く必要もなく、人生の選択肢を増やし、会社に依存しない働き方をする事ができるんです。

だから、同じように大変な思いをしているワーキングマザーに向けて、働きながらでも個人で稼ぐ力をつけて人生の選択肢を増やし、心を元気にできるようあな発信をして行きたいと思いました。

 

やっぱりね、お母さんが笑っていると子供もとっても明るく素直に育つと思うんです。

母の笑顔が明るい家庭を作る。

という理念ももとに、このブログでは

・ワーママが活き活きと働ける方法

・今までの働き方を活かした働き方

・ワーママどのようにネットで収入を増やす方法をに取り組んでいるのか

などを、私の経験から発信して行きたいと思います。

 

今日は、長い、長い、私の文章を読んで下さりありがとうございました。

 

もし、このブログを読んで、仕事と家庭の両立に悩んでいる方で、インターネットを使った収入を増やす方法をやってみたい、興味あるなという方は、こういう働き方があるよ、こんな収入を得る事ができる、という事をメルマガでお話ししています。

 

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ABOUT ME
りんりん
看護師フルタイムママ、ワーママの笑顔を増やす働き方を発信中。
その働き方いつまで続けますか?

私はフルタイムで看護師として働いている、どこにでもいるワーキングマザーです。

子育てをしながら20代、30代と必死に働いてきしたが、年々落ちて来る体力と気力に限界を感じてきました。けどお金の不安で仕事を辞める事ができず、働き方に悩む日々が増え、笑顔のない日々が続きました。

そんな時に、会社にも資格にも依存せず、インターネット上に「仕組み」を作って、自宅にいながら個人で収入を得る働き方を知る事になりました。

それは、時間もお金も、そして身体も自由な働き方でした。

個人で稼ぐ方法を身に付ければ、家庭や自分を犠牲にして働く必要もなく、人生の選択肢を増やし、会社に依存しない働き方をする事ができるんです。

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